求職者の方へのメッセージ
求職者の方へ
杜のホスピタル・スタッフ募集
杜のホスピタルに興味をもって、このページを開いていただきありがとうございます。
当院のスタッフとなることに興味がある方は、以下、少し長い文になりますが、是非お読みください。
”求む男子。
至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の続く日々。絶えざる危険。生還の保証なし。
ただし、成功の暁には名誉と称讃を得る”
これはイギリスの探検家サー・アーネスト・ヘンリー・シャクルトン(1874/2/15 -1922/1/5)が南極探検隊の乗組員募集のために1914年にロンドンタイムスに出したとされる有名な広告文です。(応募者数は5000人以上と言われています。)
彼の大きいとは言えない探検船(乗組員28名)エンデュアランス号は1914年9月8日イギリスを出発。1915年1月15日南極大陸を目前にして流氷に囲まれて操船不能となり1915年11月氷塊の圧力で沈没。そこから零下30度以下の極寒の氷海を漂流すること9か月、無人島を経て、1916年8月に独力で全員生還を果たしています。南極大陸横断の目的からは完全に失敗ですが、無線等の外への連絡手段が何もない当時、何故、このような奇跡的ともいえる全員生還を果たすことができたのか?が、当初の目的に劣らず大きく評価・称賛されているのです。
ここで興味があるのは、シャクルトンの乗組員の採用基準です。航海士としての技術の高さの他に、この探検は科学探査も兼ねていたのでその専門家達(医師2、生物学者、気象学者、地質学者、物理学者、画家、カメラマン、大工)がいました。彼らの専門的能力、体力・気力は当然のことながら、シャクルトンは面接で「君は歌がうたえるかね。」と尋ねたこともあったそうです。彼が重視したことはコミュニケーション能力でした。
それと、それを基盤とした、困難の中にあって“楽しむ”能力です。氷に閉じ込められた船の中、船が沈没して後は氷の上で、彼らは、状況は絶望的であるにもかかわらず絶望せず、合唱、仮装、芝居、サッカーなど色々なことをして楽しむ工夫、エンターテイメントを忘れなかった、そこから生きのびる工夫も生まれたーこれらの能力が彼らをして絶望的状況から奇跡的に生還させる原動力になったと私は思うのです。
このことが精神科とどんな関係があるのか?
精神科患者の殆どは、様々な形のコミュニケーションの障害を持っていますー職場、学校、家族、社会全般そして自分自身とも。そのような患者を治療する場である精神科病院には様々な専門職が働いていますが、それらの職種間のコミュニケーションは?―必ずしも良いとは言えないのが多くの病院における現状ではないでしょうか。どこの病院でもチーム医療をモットーのひとつに掲げているにもかかわらずです。
シャクルトンのチームが生きのびられた理由のひとつがそうであるように、精神科病院においても(いや、どの組織、社会においても)エンターテイメントは必要です。
Hospitalの源義は“A place of rest and entertainment”なのです―私が病院名を藤井病院から杜のホスピタルに変えた理由もここにあります。
私の近刊書(9/24発刊、幻冬舎)「精神科病院アンサンブル」には、上記について、何故、精神科病院においては質の高いエンタータイメントが必要なのか?チーム医療とはどのようなものなのか?についてオーケストラを例にあげて、杜のホスピタルの取り組みを具体的に詳細に述べています。
この病院で働いてみたいと思われる方は、このホーム・ページの“R6年10月10日(木)ランチミーティング議事録:スーパー救急に向けて、優秀な人材確保が必須です”も併せて読まれて判断の材料にしてください。
(追)私の前著「不思議の杜のホスピタル」(2023/4 発刊、ホシツムグ)では、脳・精神の不思議さ、杜のコンサート(240回)の内容、その意義と効果、日本の精神科医療の先進他国との違い、小説”1984年”を例に現在が統合失調症的監視社会になりつつあるのではないかとの危惧等を多角的にとりあげて論じています。精神障害(特に統合失調症)理解の参考にして頂ければ幸いです。(両書とも私の単著になっていますが、実は杜のホスピタルにおけるチーム医療の賜物であると言っても言い過ぎではありません。)